526 名前:512 ◆Ffptiox2cY 投稿日:2006/11/11(土) 08:49:55 ID:9GgM27RY
数カ月後の日曜日、裕介はさゆりの部屋に来ていた。
「ひさしぶりに、ゆっくり二人で過ごせるね」
「・・・うん」
裕介は照れて俯く。
さゆりと裕介が二人きりで会うのは三週間ぶりだった。
裕介はほんとうは嬉しくて飛び上がりたい気分だが、それを表に出せずにいた。
さゆりはそんな裕介に気を使うように申し訳無さそうに話す。
「ごめんね。最近、仕事急がしくって」
「いいって、気にしてないよ」
「うん」
「・・・」
「あっ、ゆうちゃん。私こんど、映画のオーディション受けるの」
さゆりは嬉しそうに笑顔で言った。
裕介はさゆりが見せた笑顔が、グラビアのさゆりの笑顔と重なり胸が苦しくなる。
「・・・そうなんだ」
裕介は素っ気無く答えてしまう。
「・・・うん」
「あっ、よかったじゃん、さゆりは女優になりたいんだもんな」
裕介はさゆりの辛そうな顔を見て、慌てて言った。
「・・・うん。ありがと」
「・・・」
「あっ、そうだ、ゆうちゃん、おいしいケーキあるから食べよ」
そう言うとさゆりは、部屋を出てダイニングに行った。


527 名前:512 ◆Ffptiox2cY 投稿日:2006/11/11(土) 08:51:25 ID:9GgM27RY
裕介がさゆりの部屋にくるのはひさしぶりだった。
可愛らしい装飾、甘くていい匂いがする女の子らしい部屋。
裕介は手持ち無沙汰になって、立ち上がり、部屋を見回した。
綺麗に整頓された部屋、机には数冊の雑誌が置いてある。
手に取ると、どの雑誌にもさゆりが載っていた。
男性雑誌に載ったさゆりは、際どい水着を付け、
艶かしい表情でこちらを見つめている。
身体のラインが見て取れ、遠目には裸のさゆりを簡単に想起させる。
「・・・ゆうちゃん」
さゆりがケーキを手に目の前に立っていた。
「見ないで、・・・恥ずかしいから」
さゆりは恥ずかしそうにしている。
「嫌じゃないの。こんな格好して」
裕介はたまらず本音を漏らしてしまう。
さゆりは困ったような、そして、少し怒ったような顔をした。
「嫌にきまってるじゃない。恥ずかしいし、でも仕事だから」
裕介はいつもさゆりの口から仕事という言葉が出ると言葉を返すことができなくなる。
そして、嫌われたくなくて、いつも決まった事をいう。
「そうだよね。ごめん」
さゆりはケーキを机に置くと、裕介の側に来て手を握った。
「私、ゆうちゃんの事大好きだよ」
「・・・おれも」
二人はキスをした。
お互いの気持を確かめたくて、その気持が永遠であるように。
そして、二人はそのまま、抱き合った。
ひさしぶりに身体をあわせることが二人の気持をよりいっそう熱くさせた。
「ゆうちゃん。もうすぐ、私グラビアの仕事も卒業だから」
「うん」
「嫌な思いさせちゃってごめんね」
「そんなことないよ。俺こそごめん。さゆりがんばれよ」
「うん。ありがと、ゆうちゃん」
やっぱり裕介は本音が言えなかった。


528 名前:512 ◆Ffptiox2cY 投稿日:2006/11/11(土) 08:52:42 ID:9GgM27RY
オーディション会場。
「じゃあ。25番の市川さゆりさん」
「はい」
さゆりは緊張の面持ちで立ち上がる。
何度も事務所でマネージャー相手に練習を繰り返した自己紹介をすらすらとこなす。 
強面のおじさん達が真剣な表情で、吟味するように資料とさゆりを見比べる。
中心にどかんと座っているのが世界的な映画祭の賞を獲得している大磯監督だ。
大磯はオーディションが退屈なのか大きな欠伸をした。
それから助監督らしい人との軽い質疑応答があり、
意外にあっさりとオーディションは終わった。
まっ、一次だからなと、さゆりは前向きに考え事務所に帰った


529 名前:512 ◆Ffptiox2cY 投稿日:2006/11/11(土) 08:57:19 ID:qxJOxzHC
「どうだった」
事務所のドアを開けると、
まってましたとばかりに、マネージャーの陽子がさゆりに聞いてくる。
「うーん、わかんないです」
「もう、しっかりしてよ」
「そうだよ、さゆりはこの事務所の期待の星なんだから」
二人の会話に社長の郡山が割って入ってくる。
渋みのきいた顔の郡山、その容姿はいかにも人が良さそうに映る。
社長の郡山とマネージャーの陽子は夫婦で、年齢は一回り以上離れている。
というのも、陽子はもともとこの事務所所属の初めての女優だった。
当時、大手の芸能事務所に勤めていた郡山が、偶然街で陽子をスカウトした。
郡山は陽子が芸能界で成功すると始めて街で見た時から確信していた。
しかし、事務所は陽子の将来性というものを考えていなかった。
郡山は忸怩たる思いだった。
そして、ついに郡山は陽子の為に当時大手の芸能事務所をやめ独立した。
しかし、結局陽子はその後大手芸能事務所の圧力もあり大成することはなかった。
それからも二人はめげず、自分達の夢を次の子達に託そうと誓いあった。
そこで出会ったのが、さゆりだった。
郡山も、陽子も、さゆりの無限の可能性を一目見て感じていた。
鷹揚で優しい郡山、そして、芸能界の辛さをよく理解した陽子、
弱小事務所ながら事務所は家族のような雰囲気だった。
「はい。がんばります」
「がんばってよ。この事務所はさゆりちゃんのこの小さな肩にかかってるんだから」
そう言うと、郡山はさゆりの肩を揉み肩をポンと叩いた。


530 名前:512 ◆Ffptiox2cY 投稿日:2006/11/11(土) 08:57:48 ID:qxJOxzHC
裕介は携帯を耳に充て、心配げに聞いた。
「どうだった」
「二次通ったよ」
「まじで、おめでとう」
「ありがと。でもまだ二次だけどね」
裕介は本当に嬉しかった。
これで、うまく行けば、グラビアの仕事はしなくてすむ。
仕事とは言え、さゆりのあんな姿は見たくないし見られたくない。
決定的だったのは、昨日の深夜のテレビ番組、
さゆりは際どい水着を付け、お笑い芸人と戯れていた。
もちろんそれが仕事であることは理解できたが、
さゆりが動くたびに、水着から隠すべき部分が見えてしまうのじゃないかとハラハラし、
さゆりの身体にさり気なく触る芸人の姿に、言い様のない嫉妬を感じた。
だからこそ、事態の解決にはこのオーディションが唯一の答えの気がしていた
「がんばれよ」
「うん」
「あっ、ゆうちゃん待ってて、キャッチ入った」
「わかった」
「・・・」
「ごめんね、今から事務所に行かなくちゃいけない」
「いいよいいよ」
「ごめんね、また後で電話するね」
「ああ」
「じゃあね。ばいばい」
「ばいばい」


531 名前:512 ◆Ffptiox2cY 投稿日:2006/11/11(土) 08:58:32 ID:qxJOxzHC
急に呼び出しってなんだろう。
さゆりが息を切らせて事務所に入ると、
マネージャーの陽子と社長の郡山が神妙な顔をして椅子に座っていた。
「どうしたんですか」
「さゆり、こっちに座って」
「はい」
さゆりはいつもと違う二人の様子にオーディションが駄目だったんだと感じた。
「オーディション駄目だったんですか」
「・・・いや。違うんだ」
郡山は手を大きく振って言った。
そして、息を一つ吐くと郡山はさゆりの目を見つめ喋り出した。
「さゆりは女優になりたいんだよね」
「はい」
さゆりは力強く頷く。
「うん、うちの事務所としてもさゆりちゃんを主役をはれるような女優にしてあげたい」
「はい」
「・・・」
郡山は黙り込む。
「なにか、あったんですか」
押し黙った郡山を引き継ぎ陽子が話し始めた。


532 名前:512 ◆Ffptiox2cY 投稿日:2006/11/11(土) 08:59:19 ID:qxJOxzHC
「実は今から大磯監督がさゆりに会いたいって」
「ほんとですか、嬉しい」
さゆりは目を輝かせた。
「違うのよ。ホテルで会いたいって」
「えっ」
さゆりは最初その言葉の意味が分からなかった。
「ホテルで二人きりで会いたいって、電話で言ってきたの」
「そんな」
「それで、準主役を用意してるって」
「そんなの嫌です」
さゆりは毅然と言った。
すると、押し黙っていた郡山がさゆりをまっすぐに見つめ言った。
「もちろん、さゆりが嫌なことはわかってるし、俺だってそんなことさせたくない。
そもそも、今回のオーディションは出来レースだったんだ」
郡山は続けて、大手事務所の名前を吐き捨てるように言った。
「・・・」
さゆりは事実を知りショックを受けていた。
「でもな・・・」
郡山は意を決したように話始めた。


533 名前:512 ◆Ffptiox2cY 投稿日:2006/11/11(土) 09:00:09 ID:qxJOxzHC
「これはチャンスなんじゃないかと思うんだ」
さゆりは郡山の言葉に驚き、慌ててその心中を計るため郡山の顔を見た。
「誤解だけはしないでくれ、こんなことは本当にあってはならない事だ。
しかし、芸能界には昔からこういう慣習があるんだ。
今テレビに出ている、
小さな事務所の女優たちも多かれ少なかれそれを乗り越えてきている」
「・・・でも」
さゆりは郡山の言葉に戸惑う。
「さゆりが本気で女優を目指すなら、こんなチャンスはないだろう。
女優デビューがあの大磯監督の映画の準主役なんてことは」
さゆりは陽子をすがるように見る。
「私は・・・反対」
陽子は俯きながら言った。
「やっぱり、そんなこと・・・さゆりにさせられない」
「しかし、さゆりが女優になることは、私たちみんなの夢じゃないか」
そう言う郡山の瞳には涙が浮かんでいた。
「・・・私、行っても・・・いいです」
さゆりの言葉に陽子は驚き見た。
さゆりには郡山と陽子がこれまで自分の為にどれほど尽くしてくれたか知っていた。
雑誌の編集長やテレビ番組のプロデューサーに
頭を何度も垂れる二人の姿を何度も見てきた。
この芸能界で小さな事務所が生きていくことが、一つの仕事を得ることが
どんなに大変かさゆりはもう十分に身に滲みて分かっていた。
私自信がもう自分一人のために頑張ってるんじゃないということも。
女優は私一人の夢じゃない、もう私たちみんなの夢だ。
「・・・さゆり」
郡山も陽子も涙を流していた。
「さゆり・・・今から行くのは、市川さゆりじゃない。女優市川さゆりが行くんだ」
郡山は涙声で言った。
陽子は堪えきれずさゆりに抱き着いた。
さゆりも陽子の思いを体中で感じた。
そして、さゆりの脳裏に裕介の優しい笑顔が浮かんだ。


534 名前:512 ◆Ffptiox2cY 投稿日:2006/11/11(土) 09:00:54 ID:qxJOxzHC
郡山は携帯を手に持ち、さゆりを見遣る。
そして、さゆりの意志が変わらないことを表情で見て取ると、
メモに書かれた番号に電話をかけた。
郡山は電話の相手と二言三言交わし、メモ用紙にボールペンで走り書きをした。
電話を切ると、さゆりの方に歩み寄ってきた。
「○×ホテルで待っているそうだ」
「はい」
さゆりはしっかりとした目で答えた。
「・・・じゃあ・・・行くか・・・」
「・・・はい」
さゆりは心を決め立ち上がった。
しかし、陽子は座ったまま立ち上がらない。
「どうした?」
郡山は戸惑い声をかける。
「ごめん。私はここで待ってる」
陽子は流れそうな涙を必死で堪えている。
「わかった。いくぞさゆり」
さゆりは頷くと、俯く陽子の手をぎゅっと握りしめ、
郡山の後に続いた。 


535 名前:512 ◆Ffptiox2cY 投稿日:2006/11/11(土) 09:01:35 ID:qxJOxzHC
目の前に立派なホテルが見えてきた。
車は吸い込まれるようにホテルの入り口に入る。
ボーイがスムーズな動作で車のドアを開けた。
郡山もボーイに運転を任し車を降りようとしたが、さゆりがそれを制した。
「ここで大丈夫です」
郡山はさゆりの気丈な態度に、わかったと頷くと、車を発進させた。
さゆりはボーイに案内されホテル内に入った。
ボーイに待ち合わせだと告げ、
手に持ったメモ用紙で部屋番号を確かめ、エレベーターに乗る。
部屋のある階でエレベーターは止まり、さゆりは降りた。
廊下に並ぶ部屋の群を見て、これから自分の身に起こる事が現実的な感覚になる。
さゆりは携帯を鞄から出した。
そして、アドレスの一番最初にある、最愛の彼氏、裕介にメールを送った。
「ごめんね」
さゆりには、その四文字しか、打てなかった。
ごめんねゆうちゃん。裕介の事を思い浮かべ溢れ出そうになる涙を堪え、
携帯の電源を切り、裕介の事を頭から消した。


536 名前:512 ◆Ffptiox2cY 投稿日:2006/11/11(土) 09:02:21 ID:qxJOxzHC
裕介は突然送られてきた、さゆりからのメールに驚き、直ぐにさゆりに電話した。
しかし、繋がらない。
言い様のない不安が込み上げてくる。
裕介はそこで漸くさゆりのマネージャーの携帯に電話することを思い付く。
裕介はすぐに携帯を取り出し電話を掛けた。
数回の呼び出し音の後、マネージャーが電話に出た。
「はい」
いつもの明朗快活な声ではなくまるで別人のような声。
「新谷です」
「・・・」
[もしもし?」
「ああ、新谷君、何か用かしら」
裕介は先ほど送られてきたメールの事を伝えた。
しかし、陽子はぐらかすようなことを言う。
「陽子さん!」
「・・・新谷君、あなたが付き合っている子は、もう普通の女の子じゃないのよ。
アイドルで、そして、これから、女優になる子なの。
これからは、テレビ、雑誌、どんどん露出が増える。
もうあなただけの彼女じゃないの。
さゆりにはこれからいろいろ辛いことが起る。
それを自分の力で乗り越えていかなきゃならない。
これからは、女優として業界の人とおつき合いしていかなくちゃいけない。
その過程では、あなたの到底理解出来ないこともあるでしょう。
でも、彼女は自分の意志で女優になるって決心したの、
そんな、彼女を理解できないなら別れた方がいい」
陽子は一息でそう言うと、電話を一方的に切った。


537 名前:512 ◆Ffptiox2cY 投稿日:2006/11/11(土) 09:05:10 ID:K12f0fSN
裕介は呆然としていた。
『これからは、女優として業界の人とおつき合いしていかなくちゃいけない。
その過程では、あなたの到底理解出来ないこともあるでしょう』
陽子の言葉は核心はつかなかったが、裕介にはなんとなく理解ができた。
芸能界では身体で仕事をもらう人がいるというまことしやかな噂があることを。
そして、その言葉を再度頭に浮かべ、
さゆりを想像し、そんなことは信じられなかった。
さゆりがそんなことするはずない。
そう確信しながらも、さゆりのグラビアでの艶かしい顔が思い浮かぶ。
裕介は頭を振る、そんなはずない、さゆりがそんな、身体で仕事なんて・・・
・・・つづく

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