高度数千メートルで僕は夢を見る。
幼いころの自分が、公園で泣いている女の子と一緒にいる。
僕の膝はすりむけて血が出ている。
目が眩むほどの夕焼けの中、僕はその女の子の頭を撫でていた。
はて、そんな事があっただろうかと、
その光景を見下ろしながら不思議がっていると、
何か衝撃を感じて、僕の意識は現実へと引き戻される。
億劫に感じながら目を開けると、どうも乱気流に巻き込まれていたらしく、
まわりの乗客は少し落ち着かないようで、がやがやと騒がしかった。
とはいえもう機体の制御は取り戻したみたいで、
しきりにアテンダントや機長が、安心を強調するスピーチを繰り返していた。
まだ興奮冷めやらぬ機体のなか、
寝起きでぼんやりとした意識で、どこかそれを他人事のように眺める。
僕はコーヒーを頼んで、先ほどまで見ていた夢を思い出す。
なんの根拠もないが、あれは追憶体験だった気がする。
風景の空気感が、生々しいほどに懐かしかった。
しかし、よく思い出せない。
小さい頃から女友達なんて、文ちゃんしか居なかったから、
あの泣いている女の子は彼女だったのだろうか?
しかし、幼いころに、彼女が泣いている姿なんか記憶に無い。
ただ忘れてしまっただけだろうか。
そんな事を考えながら、欠伸を噛み殺し、
窓の外の真っ黒な風景に目をやった。


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暗い夜道。彼女は薄暗い街灯の下、
まるでゾンビのようによたよたと歩く。

彼女を知る者がその姿を見れば、
それが桐島文だとは認識出来ないであろうほどに、
まるで全財産を詐欺で失ったかのような、
肩を落とし、背中を丸めて歩くその姿は、
まさに敗残兵そのものだ。

安藤の力強い男根は、必ずしも彼女の誇りの全てを打ち砕いたわけでない。
しかし、やはり彼女の胸中には、
悔やんでも悔やみきれない後悔と、
拭いきれない敗北感で溢れていた。
涙も出ない。
彼女の人生において数少ない、完膚なきまでの挫折。
ただし、いくらそれに慣れていないとはいえ、
再び立ち上がることは、彼女の鍛錬された精神力があるならば、
本来そう難しいことでもない。

そう。あの時もそうだった。
彼女は幼いころを思い出す。
人生最初の、大きな大きな敗北。
しかし、あの時、彼女を助け、支えてくれた人は今は居ない。
彼女は大きく息をつき、億劫な顎を持ち上げる。
綺麗とは言いがたい夜空が広がっている。
この先に、あの人が居るのだと思うと、
ほんの少しだけ、彼女の肩が軽くなった。


「あ〜痛てて……」
安藤芳樹は、まだ赤みが消えないお腹をさすりながら、
よく晴れたキャンパスを歩く。
天気が良いと、ただ外を歩くだけで気分が良い。
クソ生意気なあの女を犯した翌日とあっては尚更だ。
そう思いながら、軽く口笛を吹きながら歩く。
いまだ消えない腹部の痛みを差し引いても、
昨日は良い日だったと振り返る。
ベッドの淵に座り、桐島文を両脚の間に跪かせ、
口で奉仕させた事を思い出すと、
彼の加虐嗜好が刺激され、下腹部に血流が集まる。
(あの様子だと、一回もやったことないんだろうな)
初めてのフェラチオだというのに、
ただでさえ太い彼の男根は彼女にとっては難しく、
幾度となく甘噛みされた感触はむしろ好ましかった。

再び彼女の口腔内で勃起したペニスを、
彼女は一見無感動に咥え続けた。
技術など皆無の、ただ咥えるだけのフェラチオだったが、
彼が、舌を絡めろ、吸え、口だけでしろ、と命令する度に、
彼女は素直にそれに従っていた。
その直前まで行われていたセックスで、
顔に射精され、精子をつけたままフェラチオをする彼女に、
今度は口の中でそのまま射精し、
むせる彼女を彼は、恍惚の表情で眺めていた。

(屈服させれた、と思ったんだけどなぁ……)
数多い経験から、快感で彼女を支配できた、
と確信していた彼だが、それが一時的なものだったと、
その数分後に知る。
口に射精され、えづく彼女を尻目にシャワーを浴びた彼は、
さて、堕ちたあの女をどうするか。
この後部屋に持ち込んで、明日までやりまくるか、
と薄ら笑いを浮かべながら脱衣所から出ると、
そこには乱れた髪を整え、服を着た文の姿があった。
先ほどまでの蕩けきった顔ではなく、
いつも通りの澄ました顔の彼女は、
改めて、安藤に(綺麗だな)と思わせた。
『これから俺の部屋来いよ。延長料金勿体ないし。
 あ、その前にもっかい舐めろ』
彼はそう言うと、シャワーの間に再び勃起したペニスを、
彼女に見せびらかすように突き出す。
その凶器のようなペニスを見た彼女は、
一瞬眉間に皺を寄せ、苦々しい表情を浮かべるが、
すぐに無表情に戻った。

もう彼女は自分のモノになったと確信していた彼は、
なかなか動かない文に、
『ほら、早くしろって。さっきみたいにな。
 今度は飲めよ』と急かすように命令した。
いつもなら、一度セックスをした女は、
尻尾を振る犬のように寄ってくる。
彼は自身のセックスの強さを自負していたし、
そしてそれは、確かにただの過信ではなかった。
だからこそ、彼女が彼の言葉に反応して一歩前に出た時は、
もっと自分好みのフェラチオを教え込むことしか考えていなかった。

『ふんっ!』
先ほどまでの、ピストンされる度に出ていた甘く切ない声とは違い、
腹の底から出た息吹と同時に繰り出された彼女の正拳中段突きは、
完全に油断していた安藤の水月を正確に捉えた。
声も出せず、膝から崩れ落ちる安藤を、
一瞥もせずに、彼女は部屋から出て行った。
その背中を、蹲り、呼吸困難に陥りながらも、
彼は目に焼き付けるように睨み続けた。


そして時は現在に戻る。

彼女の心境とは裏腹に、むしろ腹立たしいほどに爽やかな晴天の昼下がり。
大学からは数駅離れた町道場で、
一心不乱に竹刀を振り続ける彼女の姿があった。

しかしその太刀筋は、普段の彼女からは考えられないほどに迷いが見て取れた。
半袖は肌寒いくらいに秋も深まったが、
朝から苦行のように素振りを続けた彼女の肌には、
滝のように汗が流れ続けている。
流石に手に力が入らなくなり、思わず竹刀を落としてしまう。
「はぁ……はぁ……」
腰を曲げ、膝に手をつき、荒い息を整える。
どんな時でも、竹刀を振れば、雑念など振り払えると思っていた。
しかし彼女の頭の片隅には、極度の疲労感を押しのけてまで、
昨晩の失態を憤る感情しか沸かない。
頭が空っぽになるほど汗を流しても、
あの屈辱と、自身の愚かさは消すことはどうしても出来なかった。

ぐっ、と息を止めて、一度大きく吐く。
背中の筋肉をほぐすように、背筋を後ろに大きく反らし、
そしてまた竹刀を手に取る。
このまま、倒れるまで、素振りを続けようと大きく振りかぶる。
その背中に、突然声が掛かる。
「もう止めときな」
その声に上段の構えを解き、振り返る文。
「……師範代」
「そんな雑念だらけの素振りを続けられたら、道場が可哀想よ」
肩にかかるかどうかの髪の毛は、
ふんわりと内側に巻くようなショートボブ。
物腰が柔らかそうな垂れ気味の目は、
優しく微笑みながらもその口調は厳しい。

文はその師範代と呼んだ20代後半の女性、
篠崎弓枝を真っ直ぐに見据える。
身長は文の方が少し高いくらいなのに、
(とはいえ、170近い文とそう変わらないほどの高身長)
つい昔からの癖と、畏敬の念も相まって、
見上げるような感覚すら捉われる。
にこにこしながらも、その細い視線は、
文の心の奥底を見抜くかのように鋭い。
彼女は根負けして、苦笑いを浮かべる。

「そんな事まで、わかるのですか?」
「そりゃあねぇ。良作の坊ちゃんと一緒に、
 あんたのオムツ替えてたの誰だと思ってんの?」
それを言われると、身も蓋もない。
彼女はたまらず吹き出してしまう。
「いい加減、忘れてください」
「嫌よ。他人の弱味は握っとくに限るでしょ?」
弓枝は恵比寿様のような笑顔を保ちながら、
(とはいえ、辛辣な口調とは裏腹に、彼女はいつもこんな顔だ)
「で?どうしたの?珍しいじゃん。
 マジンガーもびっくりな鉄壁の女なあんたが」
「私だって、色々とあります」
「ふ〜ん。まぁ、そりゃ寂しいよね」
その言葉に、既に上気きった頬が更に赤く染まる。
それを見て、カラカラとお腹を抱え笑う弓枝。
「わかりやすいね。あんた」
「か、からかわないで下さい」
「あはは。ごめんごめん。でもあの坊ちゃんにしては、
 潔い決断だったね。まさかあんた置いて一人で海外とは」
「彼の意思を尊重します」
いつも通り、感情を抑えた涼しい表情でそう答える。
弓枝は苦々しく口端を歪めると、
「あんたはもっとストレートに感情伝えた方が良いんじゃない?」
と忠告するように口にした。
「???」
不思議そうに首を傾げる文に、
「行かないで欲しかったんでしょ?」
と今度は母性溢れる笑顔を浮かべる雪子。
「……そうかもしれません。ただ……」
「ただ?」
「足を引っ張りたくはなかったのです」
視線を足元に落とし、憂いのある表情で文はそう言った。
弓枝はゆっくり腰を下ろし、
「馬鹿ね。あんた達くらいの年だったら、
 存分に足の引っ張り合いしてりゃいいのよ」
「師範代も、そうだったのですか?」
「ん?」
「いや、旦那様とは」
「まぁね。そりゃ若い頃は……って今もまだ若いけど。こほん」
「師範代は、もうご結婚されて長いですよね?」
「ん? 何? コイバナ? 長いっていうか、5年くらいかな?」
文は意を決したように顔を上げて、雪子を見据えて口を開く。
「浮気、をした事がありますか?」
雪子は、その質問に口をあんぐりと開けて硬直する。
「こりゃ驚いた。まさかあんたがね。へ〜」
「い、いや違います。断じて違います」
「なぁんだ」
「何故がっかりしているのですか?」
「別に。それで? ああ浮気ね。勿論無いよ。
 あんたも知ってるでしょ。うちラブラブだから」

その返答を聞いて、馬鹿な質問をしてしまったものだと後悔する。
師範代とその旦那様は、町内では有名な馬鹿っプルぶりだ。
大学時代から付き合い、そしてそのまま結婚した二人は、
その熱が冷めることなく、未だに週末には手を繋いでデートをしている。
剣道においては、同世代では全国トップクラスの文ではあるが、
いざ弓枝が相手となると、子供扱いされるほどの腕。
その鬼神のような彼女が、旦那の前ではまるで借りてきた猫のようになるのが、
文にとっては可笑しくもあり、そして羨ましくもあった。
(自分も、ああいうふうに、素直に甘えられたら)
そんな羨望の眼差しを、弓枝夫妻に一体何度向けたであろうか。
「なんで?浮気したいの?」
「そんなはず、あるわけありません」
「じゃあなんでさ?」
「どこからが、浮気なのかと思い……」
「そりゃあ、あれでしょ。気持ちが浮ついたらでしょ」
「気持ち?」
「そう。例えば、彼とコンビニで買い物するとするでしょ?
 『今日は梅酒で乾杯といこうか弓枝?』なんて会話したりするじゃん?」
「はぁ」
「『今週のジャンプはハンターハンターが載ってるかい?』
 『いいえ。また休載よ。あら、ブリーチはまた真っ白ね』
 なんて会話したりするじゃん?」
「よくわかりませんが」
「すんのよ。うちは。とにかく腕なんか組んじゃっててさ、
 早く家帰ってイチャコラしたいのに、いざレジに行くと、
 バイトの女の子が可愛くって、旦那の目の色が変わったりするでしょ?
 『お箸は何本ご入用ですか?』って聞かれて、
 聞いた事ないような妙な声色で、『あ、一本で』とか言われた日には、
 牙突零式よね。はぁ? あたしの分は? ってな感じで」
「牙突?」
「なにあんた、ジャンプ読まないの?まぁいいけど。
 とにかく、気持ちが浮ついたら浮気よ」
「それは流石に厳しいのでは?」
「かもね。ま、流石にそんな事くらいで本気で怒るほど、
 大人気なくもないわよ。
 ただ、それくらい好きなんだから、嫉妬するくらい良いでしょ?」
弓枝は開くと大きな瞳を、ぱちりとウインクする。
それは同姓の文ですら、思わずドキリとするほど可憐だった。
「とにかく、あんたは、もっと自分の気持ち素直に伝えて良いんじゃないの?
 行って欲しくなかったんでしょ?
 それで揉めても、話し合って距離を近づけなきゃ、
 本当の意味で信頼関係なんて結べないよ?
 足引っ張りたくなくて、なんて他人行儀な事言ってんじゃないの。
 密着して足絡めあうくらいで良いのよ」
「そういうもの、なのでしょうか?」
「そういうもんよ。男と女なんて。
 で? なんで浮気云々なんて気になったの?
 ほれほれ。お姉ちゃんに言ってみな」

文はまた視線を地面に向けると、数秒考え込み、
「その、痴漢をされまして……」
と呟くように言った。
「そりゃ、命知らずな痴漢もいたもんだ」
とむしろ感嘆するように弓枝は言う。
「とにかく、私の本意では無いにしろ、
 他の男性に、身体を触られてしまったのが、
 その、悔しくて、自分にも腹が立つというか……」
「そんなの、犬に噛まれたとでも思って忘れなさいよ」
片手をひらひらと靡かせ、彼女を労わるように笑う弓枝に対し、
文はどこか浮かない顔で、溜息をつくだけだった。
「それにしても、あんたと良作が付き合うとはね」
「なにかおかしいですか?」
「うんにゃ。お似合いっちゃお似合いだけど」
「そうですか」
彼女は今日初めて、心の底から微笑えむことが出来た。
「あらあら。嬉しそうにしちゃって。
 ただ決め手がわかんないのよね。
 剣道の鬼だったあんたがどうしてわざわざ恋人なんかって」
「どちらにせよ、そういう相手を作るから良作だけ、とは決めてました」
「えーマジでー?全然気付かんかったわー。
 昔から好きだったってこと?」
「いえ。そういうわけではないんですが……」
「じゃあ何?」
「この人なら、信用出来るな、と」
「どして?」
文は、まるで芸能リポーターのように、執拗に問いを続ける弓枝に、
ついつい笑ってしまう。
普段なら億劫な話題でも、こんな時、彼女の能天気さは羨ましい。
いや、おそらくは、わざとなのだろうと、文も気付いている。
自分の変調を気付き、気を逸らしてくれているのだ。
この人は、ひょうひょうと見えて、そういうところがある。
「幼いころでした」
「お、回想シーンだね」
「茶化すならやめておきますが?」
「嘘嘘ごめん」

彼女は大きく息を吐くと、天井を見上げた。
あれはまだ二人が幼稚園に通っていたところ。
いつも通り、良作と文は、それぞれの母親と一緒に、
四人で近所の公園で遊んでいた。
日が暮れ初め、そろそろ帰ろうかという時、
二人の母親は、帰宅のために、公園の駐車場に車を取りにいった。
一分、いや30秒もかからずに戻れる距離。
幼い文と良作は、二人砂場で一生懸命に砂のお城に取り掛かっていた。
夕暮れ時の、そんな平和な光景に、
大きな、とても大きなドーベルマンが迷い込んだ。
それは当時の二人にとっては、まるで熊のように見えただろう。
涎を垂らし、獰猛そうな息遣いで二人に近づく犬に、
車に向かう母親達は気付けない。
最初に気付いた文は、腰を抜かし、お漏らしをしてしまった。
その際に転んで、膝も擦りむき泣いてしまう。
今なら逆に睨みつけ、手を下すこともなく眼光だけで撃退できただろう。
しかし当時は幼稚園に通う、ただの幼児だった。
文に数瞬遅く、その凶暴な存在に気付いた良作は、
迷うことなく、彼女の前に立ち、そして両手を広げて。
まるで餌を値踏みするように、良作の顔に近づくドーベルマン。
ようやくその事態に気付いた母親達は既に遅く、
犬の鼻が既に良作の顔につくくらい接近を許していた。
目の前には、牙をひり出しながら、
低くうなり続ける獣。
しかし、良作は、一歩も引かなかった。
幼いころの文は、その後ろ姿を憶えている。
その両足は、確かに震えていた。
立っているのが不思議なほどに。
なのに、一歩も動かず、自分の前に立ちはだかってくれた。
ドーベルマンは、良作の顔を舐めると、
そのまま踵を返した。
すると遠くから、大人の走る音。
リードを手にした飼い主と、母親達だ。
飼い主が母親達に平謝りしている間、
良作は、泣きじゃくる文の頭を撫でていた。
「まぁ、そんなとこです」
「えー、絶対嘘だー」
「何故ですか?」
「良作がそんな格好いいわけないじゃん。絶対少し盛ったでしょ?」
「別に信じてもらわなくても構いません」
文はそう言うと、防具を外し始める。
「まぁもしそれが本当なら、一発で惚れちゃうわね」
「そういうのではないですが、でも、私の中で、
 彼への信頼はある意味不変です」
「はいはい惚気乙」
結局は茶化すように笑う弓枝を尻目に、
文は片付けを進めていく彼女の頭は、
午後の予定をどうするかを迷っていた。
講義はある。
しかしあの男の顔は見たくない。
(さて、どうしたものか)
彼女はもう一度天井を仰ぎ、息を吐いた。




「こいつは驚いた」
安藤は思わずそう独り言を呟く。
次の講義の為に移動をしようとキャンパスに出ると、
そこにはいつも通り悠然と歩く文の姿。
(昨日の今日で、よくもそんな澄ました面で学校来れるな)
彼は彼女のその図太さに感心しつつも、
いつも通りの営業スマイルで彼女に近づいた。

「やぁおはよ……」
彼の挨拶など眼中にもくれず、彼女は力強い足取りで彼の横を素通りする。
結局彼女は、いつも通り振舞うことを選択した。
それが、何よりの抵抗になると思ったから。
しかしそんな事でめげる安藤芳樹ではない。
すぐさま踵を返し、彼女の背中を追従する。
「いやぁ今日も良い天気だね。それにしても昨晩からなんだかお腹痛くってさ。
 桐島さんはない?そういうことって」
彼女は大きく息をつくと足を止め、そして振り返った。
その眼光は鋭い。
獲物を前にした肉食動物のそれだ。
「お大事に」
彼女は無表情で、それだけを冷たく言い放つと、
引きつった笑いを浮かべる安藤を尻目に再び歩き出した。
安藤はその背中を眺めつつ、
生まれて初めて、食べきれないのではないかと思うほどの、
大量のご馳走を目の前にしたアナコンダのように舌なめずりした。


講義を受けながらやはり文は、時折音が鳴るほどに歯噛みをした。
勿論昨晩の自分の失態を鑑みてのことだ。
自分が許せない。
こともあろうか、自ら奉仕を進んでしたあの瞬間は、
思い出すだけで、女に生まれたことを呪ってしまう。
そんなものなのだろうか?
愛だのなんだの言っても、所詮自分も動物なのだろうか?
絶え間ない性的絶頂という快感を与えてくれた、
逞しく力強いペニスを前に、
まるで降参した犬のように従順になってしまった事実は、
なんとか気丈に振舞う彼女の心に、大きな影を落とし続ける。
その上、昨晩のやり取りで、良作から誕生日プレゼントで貰ったネックレスを
失くしてしまったことに今更気付く。
もしかしたら、いやそうでなくても、あのホテルだろうか。
今更近寄りたくもない。
目にするだけで、吐き気が催しそうだ。
講義が終わると、携帯を取り出し、慣れない手つきでインターネットから、
地図から昨晩のホテルの連絡先を調べる。
呼び出し音が二度、三度と繰り返される。
従業員の対応は、風俗店ということにイメージを持っていた
彼女の予想に反し事務的で、そして簡潔だった。
結果は当てが外れた。
途方に暮れる。
自然と溜息が増える。

「やぁ、講義終わり?」
そのうえ更にげんなりさせられる声が背後から掛かる。
無視してその場から歩き出す。
目的地などない。
その場からの離脱が目的。
「ちょ、ちょっとちょっと」
慌てて足音が着いてくる。
「一晩共にした仲なんだからさ」
その言葉に、慌てて振り返り睨みつける。
周りには幸い誰も居なかった。
いや、それくらいは彼も配慮をしたのだろう。
安藤はニコニコと笑顔を浮かべながら、
両手をあげて降参のポーズを取る。
「やだなぁ。そんな怖い顔しないでよ」
「……もう私に近づくな……約束だろ」
「約束?」
「だ、だから、その……一度したんだから……」
彼女のその言葉に、安藤は心外だというような表情を浮かべる。
「え〜?それは桐島さんが勝ったらの場合っしょ?」
「どちらでもいい。もう関わらないでくれ」
文はひたすら彼の目を睨みつける。
彼女は彼の瞳が苦手だった。
多くの人は、愛嬌のある目だと評価するようだが、
彼女にとっては、光を吸うブラックホールのように、
それは不気味で、そして不可解だった。
「……ふ〜ん」
納得がいかないように安藤は首を傾げると、
「じゃあ、やっぱり良作にばらしちゃおうかな。一連の出来事」
と囁いた。

二人だけの空間に、十秒ほどの沈黙が流れる。
遠くからは、キャンパスで青春を謳歌する淡い声が聞こえてくる。
それとは対比して、彼らの間に流れる空気は、痛く、そして冷たい。
しかし文の表情には、動揺は一切見られない。
既に覚悟していたかのように、
「勝手にしろ」と、きっぱり言い放った。
予想外の反応に、「は?」と間の抜けた声を出す安藤。
「勝手にすればいい、と言ったんだ。
 どちらにせよ、良作が帰ってきたら、私から言うつもりだ」
「マジで?」
「ああ」
「……嫌われちゃうかもよ?」
「仕方ない」
「振られるかも」
「別れたくはない。そうならないよう努力する。
 しかしこんな穢れた秘密を抱えたまま、彼と人生を共にすることは出来ない。
 繰り返すが、別れる事を由とするわけじゃない。
 三日三晩、頭を地面に擦り付けて許しを乞うつもりだ。
 私は、彼を愛しているんだ」

安藤は口をあんぐりと開けて絶句した。
彼女はそんな彼を小馬鹿にするように見下しながら振り返り、
そして置き去りにするように、力強く歩を進めた。
その背中に、
「これ、落としてったでしょ?」
と声が掛かる。
文がゆっくりと振り返ると、安藤が片手を上げて何かを見せびらかせている。
その手の中には、外からの陽光を反射し、ネックレスが光っていた。
それを睨む彼女の目には、やはり一分の動揺すらない。
それが安藤の手に握られていることは、
さもありなんと覚悟すらしていた。
「返してくれ」
「今晩さ、俺の部屋で一緒に勉強しない?」
「返してくれ、と言っている」
彼女が足を一歩出すと、それに連動するように、安藤が一歩下がる。
「一緒に、勉強しようよ?」
あくまで交わらない彼らの会話。
こういった場合、どちらかが大人になるしかない。
大人になる、ということは、
即ち損害を甘んじて受け入れる、ということだ。
「指一本でも触れてみろ。今度は腹痛程度では済まんぞ」
うんざりした様子で嘯く彼女のその言葉に、
安藤の口端が醜悪に歪んだ。


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『妙に朝早く起きてしまったので、なんとなく手紙を書いています。
 こっちの朝は、日本とは比べ物にならないほど肌寒いです。
 身が引き締まるような空気の中、僕が外国にいることを実感させられます。
 今現在、僕がこうして筆を走らせている間、
 そっちは3コマ目が終わったくらいでしょうか?
 文ちゃんの事だから心配は要らないでしょうが、
 他の事に気を取られて講義に身が入らない、なんてことはないように。
 
 ホストファミリーの方達は、とても親切にしてくれています。
 ケビン君という小さな子供がいるのですが、
 昨晩から仮面ライダーごっこに付き合わされてくたくたです。
 それに加え、まだ頭が時差ボケで辛いので、今回はとりあえずこんな感じで。
 それでは、返信待っています。』

僕は筆を置くと、まだ明るくなり始めたばかりの空に目を細める。
それにしても、この時代にわざわざエアメールとは。
携帯やPCが苦手な文ちゃんらしい申し出だ。
それを可笑しく思いながらも、お互いの近況を教えあうだけに、
これだけの労力が必要なことが、僕達がどれほど遠く離れた、
という事実を再認識させてくれる。
しかし、不思議と距離は感じない。
何故だろう。
目を瞑れば、鮮明に彼女の姿が思い浮かぶ。
僕は目を瞑ったまま、以前お互いも誕生日に買いあった、
ネックレスを手に取ると、ほんのり暖かさを感じた気にすらなれた。


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ぎし、ぎし、ぎし、とベッドが小刻みに揺れる。
それなりに散らかった、如何にも男子大学生のアパートといった部屋には、
二人分の荒い息遣いが流れ続けている。
とはいえその表情はそれぞれ対照的だ。
片方は恥辱に塗れ、精神的な苦痛に端正な顔を歪めている。
そしてそれを、上から愉快そうに見下ろす、やはり端正ではある顔。
締め切ったカーテンから、早くなりはじめた落陽の光が漏れ、
その赤橙色は、白く美しく、艶かしくも丸みの帯びつつも、
均整の取れた身体の上に乗り伏せ、
腰を振り続ける男の背中を照らし続ける。

「はっ、はっ、はぁっ、んっ、あぁ……っくぅ……」
「またいきそ?」
その男は、自らの男根に掛かる肉の壁の圧力が、
痙攣するかのように高まりだしたことで、そう推測した。
「ち、ちがっ……あっ、あぁっ…………んっ、くっ」
女はそれを、眉間に皺を寄せながらも否定するが、
男に組み伏せられ、ひっくり返ったカエルのような体勢で、
天井に向けられた細く長い足の先は、
まるで足の指で握り拳を作るかのように固められていた。
それは我慢の証。

「んっ、んっ、あっ、あぁっ……いっ、いやっ……あっ、あっ、あっ、んっ」
強がりを張る彼女だが、彼はもう既に、
彼女の乗りこなし方を完全に把握していた。
子宮口近くの、膣壁天井部を、その深く出っ張ったカリでごりごりと引っかく。
すると面白いほどに彼女は喉をくっと鳴らし、
背中を反らし、甘い息を吐く。
「あっ、あっ、あんっ……はっ、あぁんっ!」
一際大きく切羽詰った声を出させると、
きゅっ、きゅっ、と熱くとろとろに濡れたぎった肉の壁が、
彼のやはり熱く、そして石のように硬い肉棒を締め付ける。
ただでさえ人並み以上に太い彼の男根で満たされた膣内は、
より一層隙間を失くすように収縮を繰り返す。
それは結果的に彼の男根を肉壁で愛撫することを意味した。
巨大な亀頭は、その愛撫に応えるようにさらに膨張する。
さらに硬く、そして鋭くなるカリは、
未だ絶頂による痙攣を続ける彼女の弱点を、容赦なく攻め立てる。
「あっ!あっ!……や、やめ、ろ………動くな……あんっ!あんっ!」
依然続く絶頂の余韻は、その刺激にくすぐったさすら覚えるが、
次第にそれは、すぐに上り詰めるであろう純粋な性的な快感に変わる。
「あっ!あっ!いっ!あっ!それっ、いいっ……ああぁんっ」
無意識に出てしまった、その言葉。
迂闊だった。
そう思う暇もなく、彼のピストンは彼女を更に、
快楽の坩堝に堕としていく。


文をアパートに連れ込んだ安藤は、当然勉強などするわけもなく、
五分も経たない内に彼女を押し倒した。
当然その展開を文も予想していた。
彼女は力一杯抵抗した。
しかし、所詮は密室。
立ち回るスペースがなければ、
腕力勝負で男に勝てるはずがないのだ。
力で組み伏せられた彼女は、
呪文のように繰り返される、
「最後だから」という彼の言葉を聞きながら、
せめて人形のように振舞ってやろうと、
目を瞑ることしか出来なかった。

「はっ、あっ、あぁんっ!いっ、いいっ!……それっ、あっあっあっ、いい……」
「気持ちいい?」
安藤芳樹のその声に、桐島文は一瞬正気を取り戻す。
下唇を噛み、眉間に皺を寄せて下から睨み上げる。
しかしその顔は既に蕩けきっており、
噛んだ唇からも、甘く切ない吐息が漏れ続けている。
それでも彼女は、
「ち、ちがっ…………そんなわけ……」
と気丈に吐く。
安藤は、その表情を見下ろしながら、
いまだかつてないほどの劣情を催す。
犯したい。
この女を、とことん。
今までの女とは違う。
笑顔を振りまき、冗談を口にしていれば寄ってきて、
一度セックスをすれば涎を垂らす、
今まで何百と抱いてきた雌犬たちとは違う。
もう幾度となく絶頂を与え、
その美しい肌にうっすら汗を浮かべ、
おそらく彼氏にすら見聞きさせたことが無いほどに、
蕩けきった甘い表情と声を浮かべながらも、
抵抗を続けようとする文を、
彼は自分のモノにしたいと強く願った。
彼が女性にこれほど強く執着したのは、これが初めてかもしれない。
ズンッ!ズンッ!ズンッ!と腰を振る。
先ほどまでの、ねちっこく中を擦る動きではない。
気に入った雌を、滅茶苦茶に犯したい、という、
本能からくる雄の動き。
「あんっ!あんっ!あんっ!……あっ、すごっ!…はげし、すぎる」
文の頭の中は、もう既に真っ白。
最愛の人の事も、自分への失望も、最早無い。
ただ逞しい男根で、力強く突かれる度に、身体中に流される、
多幸感に身を任せることしかできない。
「はっ、あぁんっ!あっ!いっ!いっ!……あんっ!あんっ!いいっ!」
たとえそれが、心の底から憎む相手であったとしても、
いや、だからこそ、なのか、彼女は甲高い嬌声を止めることが出来ない。
嫌悪感しか抱かない男に、雌として、交尾で屈服させられる、
その屈辱は、彼女の奥底に眠っていた、
誰も、本人ですら存在を感知できない被虐嗜好を呼び起こしたのかもしれない。

「あんっ!あぁんっ!んっ!あっ……はっ、はっ、はっ、ん……
 や、やめ……ろ……やめ、て……あぁ……んっ、あ………あっ、
 あんっ!あんっ!はっあ!……いっ!あんっ!……っくぅ!」

彼の上半身が、のしかかるように、彼女の身体に覆いかぶさる。
幸か不幸か、ピストンが止まり、一時の休息が彼女に与えられた。
「ひっ…いぃ…ひぃ………はぁ…………ふぅ」
彼女が大きく呼吸する度に、その美しく肉丘も上下に揺れる。
その柔らかい肉感は当然、密着している安藤には至極の感触。
少し首を浮かせ、唇を重ねようと試みるも、
緩慢な動きではあるが、彼女は首を横に向け、回避した。
乱れた彼女の黒髪を撫でながら、
「イク時は、イクって言えよ?」
と諭すように言った。
彼女は、瞳を潤し、頬を染め、息を乱しながらも、
「……死ね」と言い放った。
彼女が、その言葉を使ったのは、大袈裟ではなく、人生で初めてだった。
幼きころから武道に手を染め、その言葉の重さを、
誰よりもわかっているはずの彼女にそう言わしめる。
そうまでして、目の前から、いや、自分の人生から消えてほしい。
そう願った人間、
のはずなのに、

「あんっ!あんっ!んっ!あっ!……いやっ、いやぁっ……」
彼が一度ピストンを開始すると、
容易くその表情と声には、甘い熱が帯びた。
「やっ!やぁっ!……なんで?なんで?……あっ!あっ!あっ!あっ!」
「言えよ?な?わかったか?」
「んっ、はぁっ!あっ!あっ!……ふぅっ、くぅ……んっ、あぁ」

すっかりと彼の形を憶えはじめた彼女の性器は、
絶え間なく彼女の頭に白い波を促す電流を送る。
「ひっ、あっ、あっ……あ、それ……いぃ……くそ、くそぉっ……」
一握り残った彼女の意思が悪態をつくも、
彼女の身体は勝手に、彼のセックスに悦んでしまっている。
両足は彼の腰を下からがっちりと挟み、
両手は首に回されている。
それは、彼女の意識とは関係無い。
彼女は、自分がそんな事をしているとすらわかっていない。
「あんっ!あんっ!あっあっあっあっ!……んっ……あっ、はぁぁっ!」
雌の本能。
強い雄の精子を欲する本能からの行動。
自らが優秀と認めた雄の子種を、産み落としたいという欲望。
ピストンを続けながら彼が口を開けると、
それに呼応するように、口を開けて、舌を出し、
そして彼と舌を絡めあった。
熱い唾液を交換する。
背筋が凍るほどの嫌悪感。
なのに、その熱いとろりとした液体が、
喉を通っていく度に、身体は身悶えるするほどに悦んでいまう。
やがて、膣内で、彼自身が、より一層膨張するのがわかる。
射精の予兆を感じ取った彼女の身体は、
かつて感じたことのない恍惚に包まれる。
(出して……出してぇ……)
無意識の内に脳裏をよぎったその願望に彼女は愕然とする。
しかしその慙愧の念に捉われる暇もなく、
ただただ快感に流される。
涙が出そうなほどの、幸福感。

「あんっ!あんっ!あんっ!……きてっ!きてぇっ!……
 あっイクっ!イクっ!……はやくっ!あっあぁっ!だめっ!
 あんっだめぇっ我慢できない……早く、きてっ……イっクっっ!!!!」
刹那、自分の中で、彼の男根が爆発したかのような感覚。
それと同時に、頭に中を覆い尽くす白い火花。
完全に真っ白な世界。

どこか境界が曖昧で、心地良い余韻に浸っていると、男の声が聞こえる。
「だからさ、良作が帰ってくるまではさ、俺の彼女って事でどう?
 それで良作が帰ってきたら、もう二人には関わらないから。
 ただのお遊びだって。別に心まで許す必要無いんだしさ。
 それだと、皆幸せになれるだろ?
 俺は気持ち良いし、桐島さんは俺を良作から遠ざけられるし。
 あとさ、良作に言う必要もないしさ」

(それは……)

「ま、それはあいつが帰ってくるまでに考えたらいいじゃん。
 とりあえず、皆でハッピーになろうよ」

自分勝手で、欺瞞に溢れて、矛盾だらけの提案。
絶頂の余韻に身体を振るわせ続ける文にとっては、
同時に、どうしようもなく、魅力的でもある。
安藤は文に逃げ道を用意した。
さもそれが、唯一無二の正解のように。
彼女は答えない。
今は、正常な思考が出来ない、と自分でわかっているから。
ただ黙って、身を起こし、荒げる息を整えながら、
ゴムを外して結っている安藤を横目で眺める。
(そうか。ゴム……当然か……)
安堵とともに、何か、心に冷たい風が吹いた。
その違和感の正体が、彼女にはまだわからない。
というよりは、認めたくない。
「それで、良い?」
優しく、安藤はそう呟き、そして文の頭に手を置いた。
彼女は逡巡すると、その手に掛かる重力に従うように、
無言のまま頭を下げ、そして彼の腰に顔を埋めた。
射精したばかりの亀頭を、舌で舐められて、
くすぐったい刺激に腰が引けそうになりつつも、
「じゃ、契約成立ってことで」
と彼は笑った。




『留学が始まって、もう一週間が経とうとしてます。
 僕の英語はつたないけれど、身振りを交えて一生懸命喋ると、
 向こうも理解しようと誠意を持って耳を傾けてくれます。
 やはり、コミュニケーションというのは、気持ちなのだな、
 と改めて思い知らされます。
 小手先の言葉だけじゃなく、心から、相手に伝えたい、
 そういう気持ちが、大切なんだと思いました。
 だから、帰ったら、もう一度、大切な人に、
 僕の気持ちを伝えたいと思います』
僕はその書きかけの手紙をもう一度読み直すと、
なんだか恥ずかしくなって、最後の二行を一旦消した。
「流石に、格好つけすぎか……」
そう一人ごちるも、やはり思いなおすように、
もう一度、同じ文を書き直す。
距離が離れてしまった今だからこそ、
わかったお互いの存在の重要性がある。
ここは、多少は格好をつけていくべきだろう。
僕は、遠く離れた恋人を思いながら、筆を走らせる。



イビキを背中に受けながら、黙ってアパートの扉を後ろ手で閉める。
文は、深い溜息をつきながら、なんとか重い足を一歩前に進める。
コンコンコン、と階段を鳴らし下りていく。
顔を上げると、見事なまでの秋晴れ。
光が濃ければ濃いほど、また影も深まる。
その文句がつけようのない爽やかな朝日は、
逆に彼女の心に墨汁を撒き散らすかのように輝いた。
信号待ちで立ち止まると、首筋をさする。
昨晩も遅くまで続いた、安藤とのセックスの感触が残っている。
今となっては嫌悪感しか残っていない。
いつもそうだ。
わかっているはずなのに、いざ組み伏せられると、
夜が明けた今となっては、過去の自分を殴りたくなるほど、
男を求める女の、熱い声をあげてしまう。
(私は、おかしくなってしまったんだろうか……)
ふと自分の胸元に目がいく。
虫にさされたような赤い跡が、
点々と、徐々に下へと続いている。
それを確認した瞬間、彼女の脳裏には、昨晩の事が鮮明に浮かぶ。
対面座位で、抱き合いながら、二人腰を振りあった。
最初は快楽に身を任せながらも、
最後の抵抗と言わんばかりに顔を背けて続けていたが、
どうしようもないほどに、切ない感覚が彼女の頭を支配し、
そしてついには、彼女は自ら舌を出し、
安藤の唾液を求めた。
その後、上半身を倒した安藤の上に跨る形になり、
言われるままに腰を、前後に擦り付けるように振った。
安藤が、絶頂するまで。
安藤の射精は凄まじく、ゴム越しでも、
精液が膣壁を叩く感触がわかるほどだった。
そのノックは、彼女の理性を、一時でも奪うには充分だった。
一体、昨晩で何度したのだろうか?
安藤が、三回出したまでは憶えている。
そのうち一回は、最初から最後まで、口で奉仕させられた。
口の中に出されたそれは、飲めと命令されたが、
苦く、そしてどろりと粘着性が高く、
とても飲み込めるものではなく、吐き出した。
自分が登りつめた回数に至っては、ハナから計測する気になれない。
そんな事を考えていたら、ますます昨晩の事を思い出してしまう。
細身ではあるが、やはり女とは比べものにならないしっかりした骨格。
硬く、盛り上がった筋肉。
匂い。
その身体に、抱かれる感触。
熱く飛び散る、精子。
彼女は慌てて、頭を横に振る。
邪念を振り払うかのように。
しかし、一瞬でも、安藤との性交を思い出した彼女の身体は、
鼓動を早め、そして、陰部を濡らした。
それを感知した彼女は、顔を赤らめ、自分を恥じた。
目を閉じ、忌々しそうに下唇を噛む。
(馬鹿馬鹿しい……)
あれは、いわばただの接待。
もう二度と、自分たちに、あの男を関わらせないための行動。
ただの言い訳だとわかっていながらも、それに縋るしかなかった。
実際、良作が戻ってくれば、もう、関わらずにすむのだ。
もし、約束を破れば、その時こそ、
本当に良作に暴露すればいい。
そうすれば、大学内での安藤の立場は、たちまち危ういものになるのだ。
そうだ。
何も、良作が戻ってくるのを待つ必要すらない。
いつの間にか安藤に主導権を握られているが、
弱味を握っているのはこっちも同じなのだ。
友人の彼女に手を出したとなれば、
いくら奴とて、ただではすむまい。
何も一方的に、自分だけが言い分を聞く必要は無い。
彼女は、そう考えると、少し気が楽になった気がした。
そんな折、彼女の携帯が鳴る。
メールだ。
あたふたした手つきで中身を確認する。
『おはよー。黙って一人で行くことなくない?
 てかテキスト忘れてってるよ?』
文は急いでバッグを確認すると、確かに講義に必要なテキストが足りない。
失神するまで攻め立てられたとはいえ、
安藤の腕の中で目を覚ました屈辱は、
彼女に慌しい登校を余儀なくした。
両手で携帯を握り、ぽちぽちと文章を打つ。
『持って来てくれ』
すぐに返事。
『俺一コマ目さぼるから、必要なら取りに帰ってきてよ』
彼女は舌打ちをすると、時計を確認した。
引き返しても、充分間に合う。
苛ただしげな靴音を鳴らしながら、アパートへ向かう。
楽しそうに笑顔を浮かべながら登校する小学生達とは対照的に、
彼女は下唇を噛みながら、朝の町並みを闊歩する。
つい先ほど降りたばかりの階段を今度は昇り、
そして部屋の前に立つ。
一度深呼吸。
軽くノックするが返事は無い。
仕方無いのでそのまま入る。
玄関に入った瞬間、愕然とする。
男と女が激しく交わった匂いが鼻をくすぐった。
その匂いの元となる、昨晩の思い出が彼女の胸を締め付ける。
一度止まった足を何とか前に進めると、
シャワーを出たばかりであろうことを推測させる、
タオルで頭を拭く安藤芳樹の姿があった。
「あ、おかえり。そこのテーブルに置いといたよ」
彼はそう言いながら、恥ずかしげもなく、裸体を彼女に晒す。
彼女はそれをもう見慣れていた。
何度も目にし、そして触れられた、引き締まりつつも逞しい身体。
勃起していなくとも、勃起した恋人のそれと同じくらい大きいでは、
と思わずにはいられない陰茎。
もう、文字通り、嫌というほど見慣れているはずなのに、
どうしても一瞬それらに目を奪われる。
「ふん」
彼女は鼻を鳴らすと、安藤が指差した方へ向き直り、
そして置き忘れていたテキストを手に取った。
その瞬間、「あ〜やちゃん」と彼女にとっては、
身の毛もよだつような声と共に、後ろから抱き寄せられた。
昨晩の、時間は不明だが、
いつの間にか、安藤は彼女を下の名前で呼ぶようになっていた。
少なくとも、もう両の手では数え切れないほど、
彼女が絶頂を与えられていたころの話だ。
つまり彼女の意思には反し、両腕が彼の首に周り、
自らせがむように舌を突き出していたころの話。
そんな頃合に言われたものだから、
彼女は拒むことも出来ず、
その呼び方を黙認してしまったことになった。
「一緒にさぼろーよ」
そう言いながら、彼の右手が彼女の胸を、服の上から撫で、
そして左手は股間に伸びた。
彼女の鼻をくすぐるシャンプーの匂い。
胸をまさぐる右手が、そのまま彼女の顎を掴み、
そして振り返らせ、キスをする。
最初は堅く閉じられた唇は、やがて吐息と共にこじ開けられ、
そして熱く舌を絡めあうことになる。
そうなると彼の右手はまた胸に戻り、
その美しく豊かな乳房の感触を服越しに楽しむ。
左手は、既にシミを広がらせている下着を刺激し続けた。
すると彼の両手を抑えようとする彼女の手から、徐々に力が抜けていく。
「ん……ふぁ……」
瞳が熱を帯びていった。
彼は一旦キスと愛撫を止め、
そして彼女を向かい合って立つように促した。
正面から、熱いキス。
最初から、お互い口を開けて、
唾液を交換することを目的として唇同士の愛撫。
安藤の両手は、彼女の臀部や腰を力強く掴む。
彼女の両手は、最初こそ彼の胸元を押すように、添えられていたが、
やがてそれは彼の首に回る。
カチ、コチと時計の針の音と、
ちゅぷ、ぷちゅ、と唾液が交わる音が部屋を支配する。
やがてそこに、「あ……ん……」と甘い声が参戦した。
彼女の頭に、甘い痺れが登り始める。
「な?さぼろうぜ?」
「だ、だめ……」
そう言いながらも、彼女の舌はだらしなく伸びたまま。
向かい合いながら、抱きつくようにキスを続ける。
時折、下腹部に硬い何かが当たる。
キスをしながら、こっそり視線を下ろすと、
すっかり勃起しきった、力強いペニス。
それを目にするだけで、彼女の頭にじわりと何かが広がる。
欲しい。
犯されたい。
逞しい男に、滅茶苦茶にされたい。
一瞬、そんな考えが脳裏をよぎる。
「な?」
繰り返される、その甘い誘惑に、彼女は頷きそうになってしまう。
そのまま、流されたくなる。
その時、彼女の首筋に冷たい感触が触れる。
恋人から贈られたの、ネックレス。
その冷たさが、彼女に正気を戻す。
彼は微かな痛みを感じて、彼女から顔を離す。
歯型が薄っすらつく程度に、彼の唇を噛んだ彼女は、
そのまま力が抜けた両腕でなんとか彼を突き飛ばすと、
その場でバッグを広い、そして部屋を駆け出した。
全速力で、その場を立ち去る。
唇を拭いながら。
何度も何度も、血が出そうなくらい手の甲で唇を拭う。
気付くと涙も出ていた。
自分の弱さ。愚かさ。そして狡さに、絶望した。
彼女は虎に追われる小鹿のように路地裏に逃げ込むと、
声を殺してむせび泣いた。
もう止めよう。こんな事。
いつの間にか主導権を握られ、翻弄されていた。
全てが上手くいく、なんて甘い条件をつけられて、
揺れた自分の弱さが原因。
それもこれも、あの男のセックスの気持ちよさが原因。
結局自分は、良作を守るという大義名分を利用して、
あの快楽に堕ちることを楽しんでいるのではないのか?
彼女はそんな自分の汚れた部分と向き合った。
もう止めよう。
最初に戻ろう。
あの男とは今後関わらず、
良作に全て、事の顛末を最初から全て打ち明けよう。
それが、きっと最善なのだ。
彼女はそう決意し、涙を止め、
涙を拭いながら立ち上がると、大学に向かった。


----------------------------------


石畳の街並みを歩いていくと、否が応でも自分が今、
ヨーロッパの歴史と文化に包まれていることを実感させられる。
周りは当然外国人ばかり。
それでも、この国に来た当初に感じた疎外感のようなものは、
嘘のようにスゥ、っと消えた。
こっちでの友人も出来た。
今日本は丁度夜も静まったころだろうか?
この間書いた手紙は、そろそろ届いたころだろう。
少し恥ずかしかったけれど、
幸か不幸か赤く染まった顔を見られることはない。
ただ逆に、あの手紙を読んだ時の、
文ちゃんの顔が見れないのは残念だ。
どんな顔をするんだろうか。
返信が楽しみだ。



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Comments

持つべきものはマジカルチンポだなあ
...2011/11/05 01:44 AM

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