583 名前:この夏の向こうまで ◆7UgIeewWy6 投稿日:2007/09/03(月) 18:21:32 ID:Sxlxkmrt
6.

声がしたような気がして、目が覚めた。
甲高いお袋の声が、階下から聞こえていた。
「まぁまぁ、夏ちゃん。いらっしゃい。今回は良かったね、おめでとう」
…夏樹?
枕もとの時計を見る。朝の7時15分?。
俺は慌ててベッドから跳ねるように、起き上がった。
「あら、お土産?ありがとう。えーと、まだ忠志は寝てるだろうなぁ…」
能天気なお袋の声が、届いてくる。
夏樹も夏樹だ。俺が朝寝坊タイプって知ってるくせに、何でこんな朝早く。
俺はTシャツと短パン姿のままで、ドタドタと階段を駆け下りた。
「あ、忠志。良かったわね、夏ちゃん来てくれてるわよ、お土産持って」
降りてきた俺に、お袋が意味ありげに笑いながら言う。
俺は玄関に立っている夏樹を見つめた。半月ぶりに。
夏樹は変わってなかった。当たり前だ。薄い青のTシャツ、赤のトランクス。
ただ、インターハイに行く前より、肌はもう少し小麦色に焼けていた。
夏樹は俺に向けて軽く手を振った。
「…おはよ、忠志」
「おう、お帰り」
「夏ちゃん。忠志ったらね、やっとふて腐れてたのが治ったみたいよ」
お袋が笑いながら、そんなことを言う。
「いいよ、お袋は。あっち行っててよ」
「はいはい。じゃあ、またね夏ちゃん、お父さんとお母さんによろしくね」
「はい、おばさん」
夏樹の土産を手にしたお袋は、そのまま、リビングの方へ歩いていった。
「ったく、仕方ねー親だよな」
俺はそう言って、振り向く。あはは、と夏樹が笑った。
半月ぶりに会うけれど、よかった。いつもの夏樹だ。そんなの、当たり前だけれど。
「…よかったな。全国4位。おめでとう」
「うん。ありがと。…頑張ったよぉ」
「メール、したんだけどさ」
「あ、うん」
そこで、なぜか、わずかの間があって。
「…読んだよ、メール。嬉しかった。ありがと。返事しなくてゴメンね」
「いや、悪かったのは俺だから。…怒ってたんだろ。当たり前だよな」
「……」
その問いに、夏樹は答えなくて。
「俺、これから頑張るからさ」
俺が矢継ぎ早に言うと、夏樹は顔を上げて、俺をじっと見た。
「まだ大学もあるし。夏樹が叱ってくれたからさ。やっぱ、頑張ろうって」
「…そっか、うん」
夏樹が微笑んだ。
「心配かけてゴメンな、夏樹」
「ううん。いいんだ。忠志は…そうでなくちゃね」
「夏樹」
「…ん?」
「今日、昼から一緒に映画でも、行かないか?お祝いにさ、何かオゴるよ」
仲直りの記念に。俺は思い切って誘った。
夏樹が、ちょっと視線を床に落とした。急にその表情が翳った…そんな気がした。
それから夏樹は、一度、こくん…と喉を鳴らして。
「…ごめん、今日は、ダメ」

584 名前:この夏の向こうまで ◆7UgIeewWy6 投稿日:2007/09/03(月) 18:22:22 ID:Sxlxkmrt
7.

「そ、そっか」
夏樹の意外な返答に、俺は、肩透かしをくらって、次の言葉を見失った。
夏樹は両手を身体の前で組んで、すまなそうに言う。
「ゴメンね、誘ってくれたのに」
「いや、いいよ。何か用事あったんだ?」
「…うん」
夏樹の用事。なんだろう?インターハイから帰ったすぐ翌日に、夏樹が入れている
予定なんて、全く想像できなかった。
「真知子たちとさ、祝勝会の約束しちゃって!」
…とでも、舌をぺろりと出してくれたら…と思ったけれど。
夏樹は、それ以上、何も言わなかった。
仕方なく「じゃあさ、明日なら」と俺が言いかけたとき、
「忠志」
夏樹の口調が、遮るように響いて、俺は少し驚く。
「あのさ、私から誘うよ。また連絡する」
「…」
「なんか、ごめん、昨夜も遅くて…。ちょっと疲れてるみたいなんだ、私」
「…そっか、そりゃそうだよな」
「ゴメン。ちょっと家に戻って、もう一度休むね」
そう言うと、夏樹はもう踵を返して、まるで、この場から早く逃げようとするみたいに玄

関のドアノブを握っていた。
「…夏樹」
俺は、喉に何かが刺さったようなもどかしさを覚えて、その背中に声を掛ける。
夏樹の動きが止まる。顔だけで俺のほうを振り向いた。
「…ゆっくり休めよ。ホントに、疲れてるみたいだぞ、お前」
「……うん」
夏樹がドアノブを廻し、扉を開いた。
途端に、ふわっと玄関から入り込んだ朝の風が、夏樹のTシャツを少し煽った。
(……あ)
それで、初めて気付いた。
夏樹の首の後ろに、銀色のネックレスが、見えていた。
夏樹がアクセサリーをしているのって、これまでに見たことがなかった。
これが、違和感だったのだろうか。ふと、そう思って。
四角い玄関ドアの向こうの空に、真っ白な入道雲が昇り始めていた。
それに反射する夏の光の影で、夏樹の表情は見えにくかった。
「ゴメンね、忠志」
夏樹はもう一度そう言って、ドアの向こう側に足を踏み出した。
ジイジイジイジイ……と蝉の声が、耳に響き出す。
名残りの夏が、一生懸命、この町に掴まって、逝くまいとしていた。
でも、止めることは出来ない。夏は、終わってゆく。
これから何度も何度も、夏は永遠のように訪れるけれど。
けれども、たった一度だけの、この夏は。

585 名前:この夏の向こうまで ◆7UgIeewWy6 投稿日:2007/09/03(月) 18:24:40 ID:Sxlxkmrt
8.

夏樹が帰ってきてから、もう3日。
あと5日間で、高校最後の夏休みも終わる。
けれど、宙に浮いた俺たちのデートの約束は、まだ果たされないままだった。
この3日間、夏樹から俺には何の連絡もなかった。
別に、これまでだってそれほど頻繁に連絡を取っていたわけじゃない。
だから、それほど気にすることでもないけれど、今回は、俺の中で変な
「引っ掛かり」が消えていかなかった。
その日の午後、携帯が鳴った。
「おーっす、暇?何してんの?茶でも飲みに行かねえ?」
田中からだった。
気分転換もいいかと思い、田中と駅前で落ち合った。
冷房の効いた喫茶店に入る。
「元気になったじゃん、お前」
田中が言う。コイツなりに、俺のことを心配してくれていたのだろう。
「…いつまでも落ち込んでられないからな」
夏休み以後の水泳部のこと。部長を誰にするかとか、進学のこととか、
話すうちに、時間が過ぎていった。
「……あれ?」
田中が不意に、咥えていたストローをぽろりと口から離した。
ぽかん、という表情で、窓の外、駅の改札口の方を見つめる。
「どした?」
俺が聞くと、田中は相変わらず窓の向こうを見つめたままで、言った。
「…あれ、夏樹ちゃんじゃね?」
「え?」
俺は思わず、振り返った。田中が見つめた同じ方向を見やる。
間違いなくそれは夏樹だった。駅の改札口の人ごみの中に、夏樹はいた。
意外だった。スカートルックは好きじゃない夏樹が、真っ白のワンピースを着ていた。
夏樹のこんな服装を、見た記憶がなかった。
丈が短めのスカート部分から、形のいいすらりとした脚が伸びていた。
ワンピースにあわせた白いサンダル。綺麗な足のくびれ。
そして…ポニーテールにまとめた髪。首筋に、あのネックレスが…光っていた。
「…どこ行くんだろな?」
田中がそう言った。俺に答えを求めるように。でも、俺は、答えられない。
券売機の前に立った夏樹は、バッグから財布を取り出し、切符を買おうとしている。
『…あのさ、私から誘うよ。また連絡する』
夏樹の言葉が頭の中を廻った。
俺が見たことのないワンピース姿で。夏樹が。
どこへ、いや、誰に?…会いに行こうとしているんだろう。
夏樹は自動改札機をくぐると、ホームへ続く階段を上がり、やがて、見えなくなった。
田中の変な視線を感じながら、俺は黙り込んでいた。
暮れる夏が、加速しながら、狂い始めていた。

586 名前:この夏の向こうまで ◆7UgIeewWy6 投稿日:2007/09/03(月) 18:25:24 ID:Sxlxkmrt
あまり推敲する時間もなく、進展も遅くすみません。
本日はここまでとさせていただきます。

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